地震メモ

昨日の15時頃、職場でランチが終わり、まかないを食べ終わった頃に、同僚が揺れてる、とつぶやき、あ、ほんとだ、と思ったらどんどんゆれが激しくなり、一緒に働いてた彼女からどうしたらいい?といわれて屋内がいい、答えながらお皿がやばい、と棚を押さえたりするも、予想以上のゆれとなり、建物ぺちゃんこ懸念がよぎり、外出よう!とみんなとともに外へ。既に多くの人たちが道路の真ん中に避難していた。ゆれはまだまだおさまらず、見ると遠くの国際ビルがゆらゆらとゆれていてこれはやばい、と思った。
そうしているうちにゆれは収まり、震源地はどこだ?ここより酷いところがあるはずだ、とあらぬ不安がよぎる。
店に戻ると、奇跡的にグラスが2つほど割れていたのと、フライヤーの油がだいぶ漏れていたことくらいで被害はすんでいた。テレビをチェックしてみると、まだどこが震源か判然としない。このとき既に津波がくる、と言っていたが、今までの経験上、それほどおおきいものではないだろうとタカをくくっていた。
近くにある姉妹店のチェックに行くとこちらはワインやウィスキー、スピリッツなどが4,5本と、グラスが10個くらいの被害があった。でも壊滅的なものは無いので速やかにかたずけ。だいたい片付いたかな、というときに余震。
まだ本店のほうにいた彼女が心配でかけつける。既にみんなと一緒に先ほど避難した道路に出ていた。今度はTBSがゆっくりとゆれているのを確認した。TBSゆれてるわ、と言うと周りの人もうあーほんとだ、とびっくりしていた。
その後テレビを見ると震源は東北のほうと分かり、そして津波のリアルタイム映像が流れていた。恐ろしく、悲しい光景だった。
テレビの音量を最大にし、テラスを開放して周囲の人たちにも見れるようにした。
お客さんはいなかったんだけど、営業どうしようか、やめとこう、とか話していたらお客さんが入ってきた。どっから来たのか分からないけど、騒然とした状況でテレビでも大音量で悲しい映像が流れているというのに白ワインボトルちょうだい、と陽気に言われ、かなりとまどった。まあ入ってきてしまったので仕方ないか、と対応した。テレビを見てわあなんかすごいな、とか言っててほんとに神経を疑った。
その後はテレビが気になったひとたちがぱらぱらと入ってきて30分くらいで満席になった。みんなコーヒーとか頼んでテレビを見ていた。
料理は余震が怖かったので火を使わないものだけにした。19時頃にはもう大丈夫か、と思い火も使おうか、という話になったが、その後は一組入ったくらいで、21時頃にはノーゲストになった。
責任者は外出中だったけど、連絡はとれて早めに閉めていいよ、と言われていたのでその時間くらいに閉めた。22時頃に片付け終わって、とりあえず一人暮らしの彼女姉宅に向かおう、と彼女とともに向かった。
外はかなり冷え込んでいた。被災地はもっと寒いだろうと考えると悲しくなった。道路は渋滞で赤坂通りは車がずーっと繋がっていた。家族などを迎えに渋谷に向かっているのでは、と予想した。われわれは自転車なので移動は問題なかった。赤坂から表参道の移動。
姉宅に着くとまだ姉は帰ってなかった。神谷町から徒歩で帰宅途中のこと。しばらく時間をつぶしていたらほどなく姉帰宅。
部屋に入って落ち着く。テレビを見ようと思ったら姉が滅入るからやめてとのこと。それぞれの話をする。姉はビルの11階にいたらしい。すごい揺れだった模様。会社の人が電車動かないからと酒を注文。エレベーターが動かない11階まで酒屋さんに運ばせたらしい。信じられないとぼやいていた。あと偉い人から家帰るから下でタクシーとめてきて、と指示られてみんなでにらみつけてやったとのこと。ちなみに家まで4,5駅ほど、とのこと。人間性が露呈するな。
気づかれしたのかほどなく眠くなって1時頃には眠った。
僕は寝袋を借りてねたんだけど寒くて寒くて寝れなかった。でも被災地ではもっと寒いんだろうなと思い我慢。しようと思ったけど無理だったのでホッとカーペットをつけさせてもらい、それでも寒かったがなんとか就寝した。